詩のような題=Poetic Title
『ふういん と かいほう』
この ざつおんの なりやまぬ せかいの なかで
むじゅんの ひかりに みたされて
ありとあらゆる ほうそくが
せんぺんばんかの かいりつと なり
ありとあらゆる どうりが
へんげんじざいの こうそくと なる
その とざされた もんの なかに
ふういんされた ひとの こころは
いったい いつに なれば かいほう されるのだろうか
はたして にんげんは それまで いきて いられるのだろうか
※「詩のような題」=「Poetic Title」として、絵にこのような長い
題をつけています。
『 』の中は、この絵を呼ぶためのニックネームのようなものす。
こちらを、タイトルだと考えていただいてもかまいません。
(以下も同様)
詩のような題=Poetic Title
『ゆめが あれば』
なんとか かんとか いきられる
つらいことにも
どうにか こうにか たえられる
そんなことは うそなのか
ゆめの ちからは うそなのか
いや そうじゃない
ゆめの ちからは うそじゃない
ただ たりないだけ
すこし たりないだけなんだ
その たりないぶんを えにしたら
このえが できたということです
だから あなたが はじめから
ゆめの ちからを しんじられるというのなら
ひつようのない えだと おもいます
詩のような題=Poetic Title
はねを おろして うずくまって いると
じっと うごかずに うずくまって いると
いつしか
しんぞうの こどうが きこえてくる
ちいさな といきも きこえてくる
そうして いつの まにか
そんな ちいさな おとが こだまして
きょうかいの かねの ように なりひびく
これは しゅくふくの かねなのか
それとも
いきることが はきだす かなしい ざつおんなのか
その こたえは
この はねを はばたいて そらに まいああり
ちじょうを みおろした ときに わかるだろう
おそらく はっきり わかるだろう
でも いまは
もう すこし ここで じっと うずくまって いよう
『この はねを おろして』
詩のような題=Poetic Title
『カーニバルは やってくる』
どこにでも やってくる
それは おまつりだから
それは みんなの よろこびだから
だから カーニバルは どんなところにだって やってくる
たとえば この オパールのような じめんと
きいろい かべのような そらが
あかとしろの わくの なかに とじこめらた
こんな くうかんにだって それは やってくる
だれにも しられずに くらくかがやいている
こんな ばしょにも カーニバルは かならず やってくる
それは いつも なんの まえぶれもなく とつぜん あらわれて
なにごとも なかったように あとかたもなく きえてしまう
だから ふだんは みんな わすれてしまっているけど
また いつのひか カーニバルは かならず やってくる
だって それは おまつりだから
だって それは みんなの よろこびだから
だから カーニバルは どんなところにだって
きっときっと また やってくるんだ
詩のような題=Poetic Title
『きみの すがたを みせてほしい』
いや ちがうよ それじゃない
きみが じまんに おもっている
その りっぱな すがたじゃなくて
きみの なかの かたすみで ちいさくなっている
そっちの すがたを みせてほしい
きみは それを みせるのが いやだから
くすんだいろで ぬりつぶしているけれど
ぼくは そっちの すがたが みたいんだ
その くすんだいろは はじのいろ
そんなものじゃあ かくせない
どうやったって かくせやしない
かくしておくには うつくしすぎる
かくしておくには すばらしすぎる
だから その きみの ほんとの すがたを みせてほしい
みんな うつくしいものが すきだから
きみが だれでも それは かまわない